いろいろ空想をふくらませながら下山して来ると村役場の前で第一村人発見、お婆さんと役場の職員らしい人が自転車を挟んで立ち話をしていた、丁度その時、汽笛を鳴らして『フェリーとしま』が港に入って来た、役場の職員もお婆さんとの話を中断してお婆さんをその場に残し自転車でフェリーの方に向かう、我々3人もフェリーの入港を見に行く、入港して来たフェリーはフェリーとしては小さい部類の船だがもともと港が小さいために、真っ直ぐ入ってそのまま後進で出なければならない、港の中でターンは出来ない、船が完全に停止して船から岸壁に降ろしたのはコンテナ1個と人が1名だ、着岸して20分もしない内に汽笛を長く響かせて出港して行った。
 男性が1人着いたばかりのコンテナを開けて軽トラックに中の荷物を積み替えている、こちらを見て島の人間で無いことに気がついたのか、『あの船で来たの』と段ボールで手が塞がっている彼は私たちの乗ってきたサンフィッシュ号を顎で指しながら声を掛けて来た、『大阪から来ました、今夜ここに泊って明日奄美大島に行きます、夜にでも遊びに来て下さい』、と言ってその場を離れ船に帰ることにする。

 昼食を済ませてから最後の航行に備えて船の整備点検を入念に行う、種子島で積み込んだポリ容器10個の200リットルの清水をタンクに移し替える、2機並んで据え付けられてるキャタピラー3208型エンジンのエンジンオイルを両方とも1リットルづつ継ぎ足す、熱交換器の冷却水を補充する、ゼネレーターとウオーターポンプのベルトの調整、燃料フィルターを掃除、すべての点検を終えてエンジンルームから外に出ると水平線に太陽が沈みゆく時間になっていた、遮るものの無い東シナ海の水平線にゆっくりと太陽が沈んで行く。

 里子がたっぷり時間を掛けて作って呉れたディナーがテーブルに並び近くの土手から摘んできた菜の花まで添えてあった、その夜三人で夕食を済ませた頃、港で荷物を軽トラに積み込みながら私に声を掛けてくれた人が船に遊びに来た、その人はここの島で民宿を経営している主人だそうで港で働いておられたのは連絡船で運ばれて来る荷物の仕分け配達などもして家計の足しにしているとのことだ、我々がこの港に着いた日、岸壁でトビウオを拾って居た親子はこの人の奥さんと子供だったのだ。
 彼は島で民宿をする傍ら港で連絡船の積み荷の手伝いその他に素潜りで伊勢海老などを採って生活の足しにしているが島での生活の大変なこと、収入が不安定な事などの話が聞けた、観光客が少ない理由は交通が不便なこと、気象などで旅行プランが立てにくいこと等々、2泊3日の予定が台風で一週間船が欠航して島から出られなかった事もあったとか、今月の泊り客は今までで7人だそうだ、今日はもう27日だ、連休で休日が多い5月にお客が7人位ではやっぱり不安だ、3歳ぐらいの男の子の手を引いてその人の奥さんが迎えに来たので民宿の主人は帰って行った。

 宝島での最後の朝を迎えた、最高にいい天気だ2晩泊めてもらったこの港をもう一度ゆっくり見て置く、『寿丸』も『前島丸』も昨夜は港に来なかった、太平洋の何処かでジプシーの様に魚を追って元気に旅を続けていることだろう、結局誰も名前も聞いていない、それが海の上での習慣なのだ、互いに『しがらみ』を作らない、残さない、そのくせ何かの時は命掛けで助け合える仲間意識があるのが海を愛する男だ。
 宝島2日目の夜が明けた、風も無く最高の天気だ、里子が作って呉れた朝食をみんなでゆっくり味わいながら10日間の旅を振り返る話に花が咲く、楽しく充実した旅だった、今日、奄美大島龍郷町芦徳港に着けば、同行して来た二人のクルーともそこで別れることになる。

 杉中は来週にもフロリダのマイアミに戻るそうだ、彼の現実は今の私に比べればもっと深刻だ奄美大島から一旦大阪に帰る、彼の母親が大阪の都島で一人暮らしをしているのだ、彼はその母親との何年間振りかの時間の空白を埋めるかのように暫く一緒に過ごした後、再び14時間掛けてフロリダ半島先端にある屈指のリゾート地、マイアミに行き今の雇用主との再雇用契約の交渉をするそうだが交渉が成立しても雇用期間は一年間で毎年更新と言うのが決まりとの事だ、それがアメリカ社会なのだ、彼は3年前にフロリダから突然私に電話を掛けてきて『アメリカではカードが無いと暮らしもままならない、何とかお願い出来ないだろうか』という内容の電話をして来た、私も暫くの間躊躇したがまだ若い彼の将来を考えて私の会社の社員と言うことにしてVISAカードを申請してフロリダに送った事があった、それによって彼の環境が一変したと後日電話があつた、就職もアパートの賃貸もスーパーでのショッピングも全てがスムーズに事が進む様になったと喜んでくれた、今となっては外国で暮らしている彼から私がいろいろな事を学ばなければならないようだ

 里子は私が所有していた事務所を借りてくれた会社に採用されて6月から就職が決まっている、今迄通りの事務所で働けるとあって彼女も気分を新たにスタートする事だろう。

 私だけが奄美大島に残るのだ、初めての土地で新しい生活をスタートすることになるのだが、知人も縁者もこの土地に居ない私には少なからずハンデキャップがある事になる、しかし自分が進む道は自分で創りながら進む以外に方策はない、今までも一人で何でもやって来たではないか、これからどうなって行くか今の私には分からない、早くその土地で受け入れて貰える様に努力することから始めなければならないだろう、不安はあるが明日から新しい何かが始まるのだと言う期待もある、65年間培ってきた知識もキャリアもこの島では一切通用しないのだ、今までのキャリアを活かそうと思っているのなら、わざわざこんな辺鄙な離島に来ることは無いのだ、今まで通りの生活を続けた方がリスクが無いのである、此処に来た目的は残りわずかな人生をどのように変えられるか、その可能性を探すために此処に来たのだ、今までの自分をズルズル引きずっている生き方が厭なのだ、そのために550マイルも旅をして来たのだから・・・。明日から自分をすべてゼロにして新しく自分を変える旅がスタートするのだ、早く地元の人の中に溶け込み人々と喜びを共有出来る世界を見付けるために、何かボランティア活動でもして見ようと思う。

 大阪で乗っていた車のトヨタマークUは西宮を出る日に神戸の六甲アイランドからマルエーフェりーに積み込んだので名瀬新港に陸揚げされているはずだ、兵庫県西宮ヨットハーバーを出港して今日で丸10日、この航海もあと数時間で終わろうとしている、全てが無からの出発だ、造船時から関わってきて、この10年間一緒に多くの夢を紡いでくれたこのサンフィッシュ号も手放すことになるだろう、楽しい思い出をたくさん作ることが出来た事に満足している、この世にあるものは何時かは必ず消えて無くなるものだ、人の命とて例外ではない、さあ新たな希望に向けてスタートしよう。

 フライングブリッジに上がり左右のエンジンを掛ける、750馬力のエンジンが奏でる心地よいエンジンの振動とサウンドが小さな港に響く。船首と船尾の舫いロープを二人のクルーが解く、船が岸壁を離れたところで2つのエンジンのシフトレバーを後進に入れる、船はゆっくり船体をその場で180度ターンさせて船首を港の入口に向ける、両方のレバーを前進に入れスロットルレバーを徐々に倒し回転を上げて行く、船は滑る様に轟音を残し港を後にする、50マイル先の奄美大島を目指して最後の島、宝島を後にする。

 (終わり)