奄美に向かって航行しているサンフィッシュ号は宮崎の海岸線がハッキリ見えるまでに近付いた、GPSの液晶画面で海岸までの距離を測る、25マイルだ、油津港をチェックすると15マイル南西の方向だ、5マイルも北に外れている。オートパイロットのスイッチを切り手動に切り替えハンドルを握る、四国の足摺岬から230度で5時間以上も走る間に北に流れる豊後水道の潮流を左側から受けて北に流されていたのだ、GPSが無ければ油津港を探すのにも一苦労するとこだったがGPSで簡単にコースの修正が出来た。ハンドルを少し左に取り針路を214度に修正する、残り15マイルだ。今日の油津での日没は19時08分なので明るい内に港に入れそうだ。
 あと丁度一カ月で夏至だ、太陽が北回帰線上の北緯23度26分に達する、北半球で一番日照時間いが長い日なのだ、カレンダーでは6月21日なのだが暦ではこの日を境に夏が過ぎてゆき太陽が南に下がって行くのだ。そして6ヶ月後の12月21日に南回帰線上の南緯23度26分に達する、この日が冬至となり北半球では日照時間が最も短くなる日だ、このように地球は半年ごとに傾きながら自転している、そのお蔭で日本は居ながらにして季節の移り変わりを楽しむことが出来ている、もし地球にこの傾きが無かったら四季の移り変わりのない単調な景色しか見る事が出来ないのだ、冬の雪景色も、春の満開の桜も、照りつける太陽の下で泳ぐ事も、秋の燃えるような紅葉も見る事も出来ないのだ、季節のある日本に生まれた事を有り難く思わなければならない。

 油津港の赤灯台を右に見てゆっくり港内に滑り込む、正面の落日が目に眩しい、波一つない鏡の様に穏やかな港内だ、ここ油津港は遠洋漁船の避難港としても利用される天然の良港で台風シーズンには多くの漁船が利用するが今の時期は船の数も少ない、カツオの季節も過ぎている、サンフイッシュを超低速で港のいちばん奥まで進める、港では波を立てないのがマナーだ。
 クルーの杉中にスターン(船尾)からアンカーを投入する指示をする、投入と同時に船首に走りロープを持って岸壁に降り岸壁のビット(係留金具)にロープを結ぶ、両方のエンジンを停止する、船尾のアンカーロープも少し手繰り寄せロープをピンと張って船を固定する、これで船は動かない、やっと音と振動から解放された、夕方の漁港の静寂が戻ってくる、里子が気を利かせて冷えた缶ビールを持って来てくれた、長い緊張感から解放されて飲む冷えた缶ビールは格別だ、皆の眼が無言で『お疲れ様』と言っている。

 サンフイッシュ号は岸壁に対してT字形に停泊する、初めての港は出来るだけ岸壁を広く占有しないのが礼儀だ。左の魚市場の岸壁はこの時間、人も船もなく静まりかえっている、朝は魚の水揚げやセリの声で活気に満ち溢れている事だろう、広い魚市場で猫が2匹じゃれている以外誰も居ない。
 知らない港に来ると魚市場を見物するのが好きだ、その土地々々で珍しい魚が水揚げされているからだ、明日の朝が楽しみだ、宮崎県と種子島を隔てている大隅海峡の以南と以北辺りから魚の種類が変わり始める、水温が高い黒潮の影響で魚体の色までカラフルになる、魚の味は水温の低い場所で採れる魚と比べるとやや劣る様に思える。
 右の岸壁の外れに海上保安庁の分室が見える、明日にでも岸壁使用の了解を取っておこう、その時は海技免許証、船舶検査手帳、船舶検査表を持参した方がいい、必ず提示を求められるからだ、こちらの素性をつまびらかしとくほうがスムーズに事が運ぶ、相手は国家公務員なのだ。
 船が航海中は船体に海水のスプレーを浴びるのは当たり前のことなので係留後は船全体を真水で塩分を落とすのが船のメンテナンスの決まりだ、快適にボートライフを楽しむためにも不可欠だ。

 船の水洗を終わった頃には日も傾き黄昏迫る時間になる。今日も近くの商店街を散策することにしよう、美味いものに出会える事に期待して。クルー達は初めての町を歩く事を『探検する』と言っている、港からなだらかな坂道を北西に登りつめて再び下った所の信号の左角に『山形屋デパート』を発見、店の前まで行ったが生憎今日は時間が遅く閉店していた、人通りの少ない静かな港町である、お店もあまり遅くまで開いて居ない雰囲気である、商店街の外れで『お好み焼』の提灯を見付ける、自然と足がそちらに向く、これは大阪人の宿命のようなものだ、ただし『たこ焼き』に関しては特別の思い入れがあるのか『たこ焼き』の話にはすぐ乗って来る、なにしろ大阪に住む人の家庭で『たこ焼き器』を持っていない家は無いとまで言われているくらいだからだ。
 暖簾を潜って入ってみる、お客は私たちだけらしい、テレビを見ていたおばさんが『こちらへどうぞ、何にしましょ』と指されたテーブルに腰を落ち着け内装の壁の短冊形のメニューの中から二種類を選びビールもオーダーした、テーブルの鉄板の温もりが妙に懐かしく感じる、ビールを飲むうちに運ばれて来たお好み焼きの入った容器を杉中が受け取り手際よく焼き始めた、彼は大阪天満の有名なお好み焼き屋でアルバイトをしていたのを思い出した、流石に上手いものである、お店のおばさんが彼のコテの巧みな使い方をあっけに取られて見ている、その視線を彼は感じてか『私たち大阪から来ました』と言うと納得した笑顔にもどりテレビの歌番組に視線を戻した。

 ソースの香ばしい匂いに包まれながら明日からの予定についてミーティングをする。ここ油津から奄美大島まで直行すると距離は152マイルで今日走った距離173マイルより遥かに短い距離なので仮に明日の朝ここを発つと午後にはあっさり奄美大島に着いてしまう、それではあまりにも途中に点在する島々を見過ごして行くことなる、我々も初めて通るトカラ列島の島々を見ずに通り過ごすのはもったいない。
 又とない機会だ、折角だから寄り道して見ないかと提案してみたところみんな大賛成してくれた、更にリクエストは続く、トローリングをしたい、釣りたてのカツオの刺身が食べたい、温泉に入りたい、イルカに会いたい、無人島を探検したい・・・と続々と出てくる、結果、次のような事を決めた。
 無人島に接岸はしない、何かが起こった場合でも人に連絡が出来ない、島に医者はいない、種子島を離れると奄美大島に着くまで携帯は通じないからだ、その他トカラ列島は屋久島の30マイル南西に点在する島々で、10の有人、無人の島からなっており全島を総称して十島村という、鹿児島県に属していて村営の『フェリーとしま』が定期船として就航している、全人口は約750人、学校は中学までだ。
 明日からの予定を確認すると、明日は種子島に寄って給油と給水と買い物をする、トカラ列島には給油も買い物をする所も無いので種子島で燃料タンクを2000リットル満タンにして予備の燃料を20リットルのポリ容器10個に200リットル、これで船には合計2200リットルの燃料、水タンクは700リットルを積んでいる、買うものは生鮮野菜、果物、お米、ビール、調味料、他、これだけ確保していれば心配無く旅を続けられるだろう。
 お好み焼きの店を出て交差点を港に向かう、緩い坂を登りまた下るとT字路の道路を隔てて水銀灯に照らし出された『SunFish』の文字が浮かび上がって見える、船名のSunFishは日本語にすると魚の『まんぼう』なのだ、この船の前に持っていた42フィートの船名がSunBirdだったのでsunという響きが気に入っていて次の船はSunFishにと決めていた。
 船に帰ると流石に疲れを感じた、今日一日で173マイル(320キロ)走ったのだ、明日は種子島まで53マイル、せいぜい3時間もあれば着いてしまう、今夜はぐっすり休もう、とそれぞれのべッドに倒れ込んで眠りに付いた。

 翌朝、目が覚めたのは朝の8時を過ぎてからだった、魚市場のセリはとっくに終わって人も車も疎らである、折角楽しみにしていた魚市場のセリ風景を見逃してしまった、コーヒーの用意をして皆を起こしデッキに出て船の係留に異常がないかをチェックする、海の透明度が高いのでスターンのアンカーロープが20メートル先まで見えている、念のためエコーサウンダーのスィッチを入れて水深を確認する海底まで3.5メートルある、sunfishの船底までが1メートル30センチなので十分安全な水深だ、宮崎の海域の干満の差は最大でも1.5メートル以内だが同じ九州でも佐賀県の有明海では最大5.5メートルも潮が引く、ちなみに京都府の日本海では最大30センチしか引かない、場所によってこれほどの差がある、月と太陽の引力が作ったこの潮の干満が地球上のすべての生命の誕生にも関わりがあると云うから面白い。
 皆も起きたらしくクルーの里子が入れて呉れたコーヒーの出前がデッキに届く、デッキチェアーに腰を掛け景色を見ながらドリップコーヒーを味わう、朝の贅沢なひと時だ。
 北西の風が少し気にかかる、この港は山の麓をJR西南線が走る、山々にすっぽり隠れる様な位置に港があるため北西の風があたらない地形になっている、改めて山頂付近を目を凝らして見ると木々の梢が激しく揺れている、相当風が有りそうだ、これでは沖はかなり時化ているはずだ今日の出港は急遽取り止めることにした。

 デッキチェァーに座り今日の予定を皆で話し合う事にする、こんな事でも無い限り『油津』には来る事も無いだろう、念のためにと西宮を出でるときに車から降ろしてきた全国ロードマップが役に立つ、車が無いので徒歩で2キロ範囲に絞ってロードマップで調べる、昨日閉まっていた山形屋には行って見たい、クルーの里子も賛成だ、流石に女の子だデパートを一番先にしている、JR日南線の油津駅も山形屋の近くにある、1キロ以内の範囲である。
この港の横に堀川という川が北に延びている、川幅は50メートル位だろうか、ここから上流に200メートル遡ると堀川橋の手前右側に『レンガ館』と記載されている場所を見付ける、ここにも行ってみよう。
 出かけるのは11時ごろと決めてとりあえず朝食のトースト、コーヒー、サラダを杉中が作ってくれることになった、作り方は乱暴だがとにかく彼は作るのが早い、水を殆ど使わない、フロリダで船の生活が長かったのでキッチンの仕事には慣れている。
船の暮らしでいちばん制約されるのが飲料水だ、この船には700リットルの真水を積んでいるが船に給水が出来る所は限られている、近くに水を貰える所が無ければお手上げである。
 11時になったので観光を兼ねて油津の町に出掛けることにする、昼間に見る風景は昨夜の風景とは違う町の感じがする。

 次の日も風が止まず山形屋に行ったり、近くの商店街をぶらぶらしたり、釣り具店でおしゃべりして過ごした、地元の人との触れ合いは何年経っても心に残るものだ。
 ボートに帰って久し振りにテレビでも見よう、西宮を出てからもう5日間ほど新聞もテレビも見ていない、船で地上波のテレビを見るのは簡単なことではない、第一がアンテナが問題だ、大阪や神戸では電波はVHFだが地方ではUHFに変わる、それにあれだけ沢山のエレメントが付いた八木式アンテナを船には取り付ける場所も無い、常に電波の送信所の方にエレメントを向けてる事は不可能だ、それとアンテナはある程度高さが必要だが船は常に水面に浮いているので高さが無い、したがって地上波を受信するのを断念して衛星放送を受信している、せいぜい直径40センチ程度のパラポラアンテナを空に向けて置くだけできっちり写る、アンテナを固定するする必要もないむしろ固定しない方が便利だ。
 食材を買って船に帰ろうかと2人に声を掛けると里子が『今夜の食事は私に作らせてぇ』と言うので男二人は黙ってそれに従った、通りの向かいの山形屋がまだ開いていたので3人で地階の食材コーナーに降りて行った、今夜は里子が腕を奮って作って呉れる料理が楽しみだ。

 3日目の朝やっと風が収まった、今日こそ油津を出港しよう、今朝は5時に起きて魚市場のセリも見られたので満足だ、濡れたコンクリートの床一面に並べられた魚々、そのうちの三分の一がシイラだ、流石に大隅海峡周辺で釣れるシイラは大きい、中には1メートルを優に超えるものもある、ビンナガマグロ、サワラ、メバチマグロと回遊魚が圧倒的に多い、カツオのシーズンは終わりに近く数は少ない、魚市場の片隅で注意しないと見落としてしまいそうな飯屋を見付けて朝飯を食う、焼魚に味噌汁とご飯だけだが結構うまい。
 もうこれで油津に思い残すものはない・・さあ出発しよう、3日間止めていたエンジンを掛ける、軽快なサウンドが岸壁に響く、スターンのアンカーロープを杉中が手繰り寄せ最後にアンカーの汚れを海水で洗い流しデッキに上げる、これで岸壁から完全に離れた、シフトレバーを操作して船首を港の出口に向ける、両エンジンのシフトレバーを前進に入れてスロットルレバーゆっくり前に倒し回転を上げていく、油津の港町がゆっくりと後方に流れる様に遠ざかって行く、最後の防波堤を通過すると一気に太平洋に出る、昨日までの風が嘘のように海が穏やかだ。
 更にエンジンの回転を上げながら右に転進、コースを208度に取る、種子島までの距離は53マイル所要時間は約3.5時間、暫くは大隅半島と並行して走る格好になるが徐々に半島から離れて行く、船首が立てる水音と水中に伝わるエンジンの響きに驚いて船の行く手を海の中から湧き出るように羽を広げて海面をトビウオが飛ぶ、200メートルの距離を飛んだ記録が公式に残っている、黒に近い紺色の海面を次々飛翔する無数のトビウオを目で追っている間に、いつしか大隅半島が右後方に霞んで行く。