西宮を出港したサンフィッシュ号の最初の停泊地高知県『甲の浦(かんのうら)』までは約65マイル、ゆっくり走っても午後3時ごろには入港出来るだろう、今日中に港町で燃料の補給と簡単な食料品の買い物をして明日は宮崎県『油津』まで距離を稼いでおきたい、宮崎県『油津』までの走行距離は約200マイル(約370キロ)航行だ、所要時間は多分12〜13時間の長帳場になるだろう、途中で寄り道は出来ない、なにかが途中であったときは高知県土佐清水港を予定に入れておいた。
 船の操縦は三人で2時間づつのサイクルで運転を交代することにした、その方がお互い疲れないし飲み食いも仮眠だって出来るが一人は必ず見張りに付くのが条件だ。
船の免許を持っていないのは今ハンドルを握っている里子だけだ。海の上には道がないので少しぐらいスコースを逸れても大丈夫だ、他の船とすれ違うことも滅多にない、GPSの液晶画面上の私が設定したコースからずれないように走ってくれればいいだけだ。船では船長の責任において免許の無い人でも操縦は出来る、その辺は車の免許とは違う世界だ。

 サンフィッシュ号は牟岐大島の西側を通過し目指す甲の浦までは約5マイル 到着まで30分を切った、そろそろ入港準備をしなければならない、用意するものは20メートル程度のロープが少なくとも4本、フエンダー(防舷材:岸壁と船とのクッション材)、ボートフック等、港に入るにはスピードは最低にし絶対に波を立てない様に注意を払う、他に係留している船を揺らすことになるからだ。漁港は漁師の仕事場なので特に注意を払うのがマナーだ、ラッキーな事に道路に接する岸壁が空いていたので右舷側にフエンダー・ロープを取り付けスタンバイするよう二人のクルーに指示する、幸い着岸した場所の前後に漁船は見当たらない、今の時間は午後3時を過ぎている、今から帰ってくる漁船はまずいないだろうけど外から来た船が港の施設を勝手に占有してはならない、念のために後ほど漁協を訪ねて了解を取ることにする。

 船をロープで固定し終わったところで手分けして買い物と、ガソリンスタンドを探すことにする、燃料は私の担当なので徒歩で国道に出る、港からは見えなかったが国道に出るとすぐにガソリンスタンドの看板が見つかった、スタンドで『軽油をお願いします』と言うと車で来ていないので少しいぶかしげな表情をしたがすぐに気がついてか『ア、船ですか』と言うとパっと表情が明るくなる、流石は港の近くのスタンドである『何リットルですか?』『600リットルお願いします、免税できますか』『出来ますよ』と心得たものである、『すぐお届けします、どんな船ですか、船名は?』と矢つぎ早に聞く、サンフィッシュという船名と場所を告げて船に帰り給油出来る用意をして待つことにする。
 水が不足している場合も、ついでにお願いするようにしている、そのために水用に空のポリ容器を10個以上船に積んでいる、大抵は喜んで運んでくれる。田舎のガソリンスタンドで600リットルの売り上げは大きい。
 免税と言うのは、車の場合は道路を走るが船は道路を使わないので1リットルにつき24円30銭安く買える、燃料の軽油には道路使用税が含まれている、海を航行する船は当然これは免除されるのだ。奄美までは約4,000〜10,000リットルの燃料を消費するものと思われる。港によって多少の違いはあるが1リットル50円としても可なりの出費になる。

 ほどなく軽トラにドラム缶3本を積んだ先程の店員がやってきて手際よくドラム缶に電動ポンプを差し入れ軽四のバツテリーから電源を取り瞬く間に600リットルを給油し終わった。
船を止めているここの場所のことをついでに尋ねると普段は誰も係留していないと聞き、今日はこの場所係留して一泊することに決めた、今日一日何のトラブルもなく予想外に早く終わったので夜は外食することにする。船を施錠して黄昏の港町を3人で散策することにした、クルージングの楽しみの一つが知らない街を散策することだ、その土地の異文化に触れることも、知らない人との出会いもまた楽しい、知らない者同士が酒を酌み交わし心を開放して海の話を肴に酔えるのも海が好きで、お互い何の利害関係も無い者同士だからかも知れない、いつも名前も住所も聞かないまま別れてしまう。そしてまた、新たな出会いを求めて旅に出る、男は本能的に旅が好きだ、永遠に旅が出来れば幸せだろうなと思う事がある。 明日の出発が早いのでほどほどに切り上げ船に帰って寝ることにする。

 翌朝、夜が明ける前に二人のクルーを起こし港を離れた、緑の左舷灯台を南に針路を取ると一気に太平洋にと広がる海に出る、早朝の海は気温より海水温の方が高いので水面から湯気が立ち昇り霧となって視界を遮っている、大事を取ってエンジンの回転を800に落として走る。フライングブリッジは長袖のヨットパーカーを着ないと我慢できないほど寒い。30分と走らない内に霧がすっかり取れたので回転数を1,500に上げる。気温も少し上がってきた。起きて来たクルーの里子に温かいスープとコーヒーそれと朝と昼用の2食分のおにぎりを作らせる事にした。

 今から10時間以上ノンストップで九州の宮崎まで航行する予定だ。道を走る車と違って船は途中何処かに立ち寄って休憩というわけにはいかない。
左舷のホライゾン(水平線)から顔をのぞかせたばかりの太陽がみるみる大きくなる、日の出の時間とは、水平線から太陽の上辺が覗いた瞬間の時間をいうのだ、今朝の甲の浦での日の出は05時04分だ。日が当たり始めた、左の頬が暖かい。 今日のコースをもう一度入念にGPS(グローバル・ポジショニング・システム)衛星航法でチェックしてメモに書き留めておく。甲の浦⇒室戸岬:19マイル、方位197度。室戸岬⇒足摺岬:67マイル、方位240度。足摺岬⇒油津:105マイル、方位229度で合計距離=191マイルと出た、キロにすると354キロになる、一番長い直線は足摺岬⇒油津で105マイル195キロだ。
海には道が無い、目的地までのルートは自分でコースを設定する、最短コースはGPSの液晶画面で距離や針路は判断出来るが水深や危険個所、潮流、港の詳細などは海上保安庁が発行しているチャート(海図)を参考にルートを決めなければならない。すべてが船長の自己責任で行うのである(最近ではネットでも海図が購入出来る)。

 サンフイッシュ号でのルールは一人2時間づつ運転し、もう一人はワッチ(見張り)、もう一人はフリーと決めた、この船には長い距離を走る時のためにオートパイロット(自動操縦装置)を付けてある、この装置はハンドルに触ることなく決めた方向に船を走らせる事が出来る装置で飛行機にも同じ様な物が付いている。 昔の船は大勢の見張りが目と耳で判断し、熟練の航海士が舵を握っていたのが今や人件費の高騰や輸送コスト削減のため船員の数が航海機器の進化によって三分の一に減ってしまったのだ、その減った分をカバーしているのが機械なのである、機械は人間が設定したことは正確に行うが機械が自から危険を回避することはない、今の船は機械を過信しているのと、人員を削減した結果基本の見張りがおろそかになりがちなのだ、衝突の衝撃で目が覚めたなどと言う事例は枚挙にいとまがない。

 間もなく室戸岬の灯台にさしかかる、海水面からの高さが154メートルで真っ白の美しい灯台だ、何年か前一度この灯台の展望台まで徒歩で上がった事がある、ここから見る水平線は地球が丸いのを体感出来るビューポイントだ。風の無い天気のいい日には高い確率で鯨の潮吹きが見られる灯台だ、またこの室戸岬は海がしけた時はとても航行が難しく船の難所としても有名だ、流れも速く大きな波が立つ、幸い今日は波が穏やかで水平線もくっきり見える。夜間この灯台は、灯台の光が届く距離が26マイルに設定されている、白色のフラッシュで10秒毎に点滅する。灯台の灯光はそれぞれ固有の光を発して決して付近に同じものはない、夜間白色の光が10秒毎に点滅していれば、それは室戸岬の灯台だと分かる様に出来ている、その光が海上で見えていると言うことは室戸岬が26マイル以内にあるということだ、それ以上離れると地球は丸いので光が水平線の彼方に隠れてしまう、海上の船ではこれ程簡単な位置測定はない。

 灯台を真横に見る地点で針路を240度に変更する、今日は1999年5月19日今の時刻は朝の丁度6時を過ぎたところだ、荒波を心配していた岬の先端をあっさりクリヤーしたので気が抜けたのと同時に空腹を覚えたので3人で朝食タイムにする。里子が作ってくれた味付けのりを巻いた小振りのおにぎりを頬張る、こんな処で食べるおにぎりは別格だ。針路を西に変えたことで太陽の光が背中に当たり寒さが幾分和らいでくる。遠くにクジラの潮吹きが何か所も見える、太平洋に出たのだ。ここから足摺岬までは67マイル4時間前後で足摺岬を廻れるだろう。