翌朝、7時に頼んでおいたウエークアップコールで目覚めた、シャワーを浴びて朝食を摂りに一階のレストランへ降りて行った。レストランでは洋風と飲茶風の朝食があって以前来た時の朝食“中華がゆ”を頼んだ、間もなくスリットの入ったチャイナ風のコスチュームのウエイトレスがたっぷりのお粥を琺瑯の器と共にテーブルに運んで来てくれた、『ザァオ シャン ハオ』私も『お早う』と日本語で返すと初めて相手が日本人と気がついたのか改めて『オハヨゴサイマス』と少し頬を紅めた笑顔が返ってきた、テーブルには数種類の香味野菜の炒め物や何品かの漬物が添えてあった。

 8時30分にホテルの清算をVISAカードで済ませてタクシーを呼んで貰った、荷物は小さなアタッシュケースと書類の束だけだ。やがて迎えのタクシーに桃園の場所を告げホテルを後にした、5分も走らないで高速道路に上がれた、間もなくゲートに近付くと右手にM16自動小銃の銃身を持ちピカピカのヘルメットを真深く被った兵隊がゲートで仁王立ちに立っているのを見て一瞬緊張したが“こういう国なのだ”と思いなおして緊張が解けた。
 高速道路に入ると運転手が『お客さんは日本の方ですか?』と意外と流暢な日本語で話しかけて来たので、一瞬日本人かと思ったが料金メーターの横にある写真入りのネームプレートを見る限りでは間違いなく中国人の名前がラミネートされて表示されているので『日本語が上手ですね』と言うと彼は日本語が話せる訳や自分の生れた土地などを堰を切った様に喋りだした、自分の生まれた所は台湾の一番南の端の南湾という漁村で自分が5歳の頃まで日本の兵隊さんが村に駐屯していた事、父は漁師で今でも小舟を独りで操って漁に出ている事、母は彼が生まれる前から日本の兵隊さんの食事の手伝いなどをしていた事、子供の頃は軍の駐屯地の中で遊んでいた事、兵隊さんによく可愛がって貰った事などを話してくれた。
 彼の親父は酒を飲むと日本の兵隊さんと一緒に歌っていた軍歌を今も歌うそうだ『♪勝って来るぞと勇ましく誓って国を出たからにゃ手柄立てずにいらりょうか』と歌い出した、まさか、異国の地で国が違う人から私が子供の頃に聞いた軍歌を聞かされるとは思いもしなかった、驚きと感動で少しノスタルジックな複雑な気持ちになった。

 台北市内からの30キロの道程が気が付けばもう高速道路から一般道に降りていた、畑の向こうに造船所の三連の上屋が見えたと思う間もなく事務所に続く正面のゲートをくぐっていた。事務所の前でタクシーを降りる時運転手に『いい話を聞かして呉れてありがとう、君の語学を生かして日本人相手の観光ガイドをしてはどうか、きっと成功すると思う』と言って握手して別れた。