造船所の事務所にもどり今日のところは船を発注する意思のあることを伝え、翌朝の再来を約束して日が西に傾き始めたころ、造船所で呼んでもらったタクシーに行き先を告げて造船所を後にした。膨大な船の資料と青写真を小脇に抱えてタクシーに乗り込むと同時にどっと疲労感が身体を包む、物を創ることは楽しいものである、子供の頃から模型作りが大好きで大人になっても気持ちは変わらない、大人になって趣味に生きがいを持てる人は幸せだと思う、自分をコントロール出来ないで愚痴を言いながら暮らすより何か自分に合った趣味を持つともっと人生豊かな気持ちになれる、大人になって自分の城を持つことに努力する人もいれば私のように船を持つのが夢である人間もいる。

 台北に向けてハイウェイを北上するタクシーの揺れに身を任せて眠ってしまったようだ、運転手に起こされた時はいつの間にか今日宿泊するホテル『台北西華飯店』の玄関に着いていた。フロントで予約していた名前を告げると3階の部屋の鍵を渡されてエレベーターまで案内してくれた。ホテルで夕食を頼んでなかったので部屋で半袖のポロシャツの上にジャケットを着て食事を兼ねて夜の街を散策することにした。ホテルを出る前にフロントで日本円を元に交換する。
ホテルを出て、さてどっちに行けばいいものか台北は2度目なので台北の市内に関しては殆ど解かっていない、取りあえず台北空港に繋がる通りを北に向かって歩くが一体何処で何を食べていいものかか自信がない、南北の通りにひと際賑やかな屋台の筋があるが一人で行く勇気がない、『飯店』という文字が矢鱈目に入るが食事処も『飯店』ならホテルも『飯店』なので悩んでいると英語で『レストラン・リンド』と言う看板の文字が目にとまってなんとなくホットする、近付いて見るとドアーの前の立て看板に『JazzLive』とありフィリッピン人らしいバンドの写真が展示されていたので躊躇わず中に入った。

 案内されたのは正面に半円形のステージがあり左側のピアノに近いテーブルに案内された、メニューからビールは台湾ビールの金牌を、料理はステーキをレアでオーダーした、周囲に目が慣れてくるとなかなか雰囲気のある店なので安心した、テーブルを見渡せば外国人だけのグループのテーブルもある。
程なくビールが先に運ばれて来る、サイズは中瓶でラベルに金牌と漢字で書かれたラガービールだ、気候風土が沖縄に近いこともあってか沖縄のオリオンビールに似ている様に思う、台湾で一番人気のあるビールは日本のキリンとアサヒだそうだ。グラスに注がれたビールを飲み干したころでステージに右の袖からバンドのメンバーがステージに上がってきて演奏を始めた、Tサックス、ベース、ドラム、ピアノのカルテットだ、店の雰囲気を配慮しているのか演奏する曲はスタンダード・ジャズが主流のようだ、ベースがエレキベースで無いのがなによりだ、Tサックスが白人で彼がバンドマスターの様だ、他の3人は多分フィリッピン系と思われる風貌だ。

 レアのステーキをテーブルに運んで来たウエイターが『リクエストの曲はありますか?』とメモをテーブルの端に置いたのでフォークを皿に戻しボールペンを受け取って『MISTY』と書いてウエイターに渡した。この曲はジャズピアニストのエロール・ガーナーが作曲したスローバラードの曲で私が好きな曲の一つだ、はたしてこのカルテットがどのような演奏を聞かしてくれるか楽しみだ、願わくばTサックスがメロディパート吹いてほしい・・・。演奏しているアップテンポでドラムブラシを聴かせる曲『Lover Come Back to me』が終わるのを見計らって先程テーブルに来たウエイターがリーダーらしいTサックスにメモを手渡しこちらを一瞥して“渡しましたよ”と言わんばかりの仕草をする、メモを受け取ったTサックスはペースとピアノに短く一言しゃべってサックスのリードを口に近付けて行く、多分キーを二人に告げたのだろう、やがてサックスのリードで『MISTY』の曲が室内に流れると思わず全身に鳥肌が立った、想像した通りのフレーズに満足したからだ、リクエスト曲をラストにバンドのメンバーがステージから袖に消えて行った、受け持ち時間40分のステージが終わったのだろう。

 入れ換わりに若い東洋系の女性のピアノ演奏が始まったので店を出る事にする、店を出て自然と足がホテルの方に向いていた、出来れば今日持ち帰った資料の検討を出来るだけして置きたいのだ。10分前後でホテルに着いた、結構ホテルから近い場所で素敵な店と音楽に出会えて今夜はすごく得をした気分だ、フロントで部屋のキーを受け取り部屋に帰り部屋の冷蔵庫の清涼飲料を飲みながら資料をべッドの上に広げてひと通り目を通して居るうちに睡魔が視界を遮り始めた、さっきのカルテットが演奏するバラードの余韻に浸りながら眠ってしまった。