昭和30年代の名瀬のようすを記録した貴重な映像です。
奄美が悲願の日本復帰を果たした昭和28年から数年後。
戦後日本の高度経済成長がまさにスタートした頃の時代で、人々は敗戦の苦しみを乗り越えつつ新たな希望に満ち溢れていました。
この映像からも、当時の名瀬の賑わいや人々の活き活きとした表情が伝わってきます。

懐かしいあの人に出会えるかもわかりません。
あるいは、若かった頃のあなた自身にも・・・。


映像内容時間説明
名瀬港の高千穂丸1分06秒昭和28年 大島運輸株式会社が設立(現在のマルエーフェリー)。
鹿児島⇔那覇航路に、たかちほ丸・あけぼの丸、500tが就航しました。

千葉に住む日本画家 田中一村が蒸気機関車と船を乗り継いで千葉を出て四日目の朝名瀬の桟橋に降り立ったのは昭和33年12月13日のことでした。

名瀬測候所1分58秒明治29年(1896年)の開設以来、海上を航行する船舶の安全を守るために気象や海象の情報を発信する重要な基地局として活躍し、現在もアメダスや気象レーダーなど多くの気象情報を提供しています。
本茶峠11分01秒昭和33年12月27日の夕刻、古仁屋の町中で発生した火災は折からの強風にあおられ、瞬く間に町全体を呑み込みました。焼失家屋1,628棟、被災者6,000人に及ぶ大災害となったのです。

島民の足であるボンネットバスが笠利町から本茶峠を越えて名瀬に、名瀬から三太郎峠を越えて古仁屋に乗客を運んでいました。名瀬から古仁屋まではおよそ5時間を要しました。

測候所分室2分10秒名瀬測候所本茶分室
本茶峠20分17秒
永田橋市場など4分55秒現在のホテルウェストコート前の交差点。地元の林バスが運行していた懐かしい風景です。
昭和30年代、多くの市民が貧しかった時代。しかし街は活気にあふれ、心は豊かなすばらしい時代でした。
河川法改正に伴い撤去されてしまった懐かしい永田橋市場。お世辞にもきれいなお店とはいえませんでしたが、旧名瀬市民(現奄美市)にとっては大切な食の台所でした。幼い頃学校帰りに知人のおばさんの店に寄っては、お菓子をもらったりしたのがとても嬉しく印象に残っています。
奄美に初めて本土から進出してきたスーパー「まるはセンター」。品数の多さにびっくり。ものめずらしさに連日多くの市民で賑わっていました。
金久中学校の円形校舎や昔の県病院も懐かしい風景です。
奄美の風景3分25秒自然豊かな奄美大島。千年木やブーゲンビリアの花が咲き乱れ、パパイヤや島バナナがたわわに実っていますね!!
普段の見慣れた風景に若い頃は何も感じなかったものですが、歳をとると奄美の豊かさ、美しさをあらためて痛感します。
七夕0分52秒現在でもそうですが、奄美では旧暦の7月7日に七夕飾りをする風習があります。
昭和30年代、ほとんどの家庭では前日に飾りを作って平らなザル(サンバラ)に入れ、翌朝早く竹に取り付けて自宅の玄関に掲げたものです。
お盆には先祖がこの七夕飾りを目印に帰って来られると云われています。
奄美高校8月踊り2分50秒奄美高校の第2グランドでの体育祭の一コマ。女子生徒による八月踊りは、かつて寺師先生の指導により始められたそうですが、その後も恒例となって毎年引き継がれています。
名瀬祭り3分40秒大勢の人たちで賑わった高千穂神社のお祭りです。子供たちには獅子舞が恐ろしくて親にしがみついたものです。
昭和40年代の奄美祭りとなると、かなり景気も良くなり、多くの企業や自治会などが参加して盛り上がりました。
朝仁海岸1分33秒多くの名瀬市民にとって朝仁海岸は小中学校の遠足場所でした。旧道を登って千年松(松の大木)が見えてくると、やっと着いたとほっとしたものです。
脱衣場などありませんから、アダンの中で水着に着替えたものです。
その後、朝仁地区の新興住宅開発によって海は汚れてしまい、アダンも伐採されて海水浴場ではなくなってしまいました。
今はどうなったのか、少しはきれいになったのでしょうか?
スチール写真集9分22秒名瀬の景色や人びとの暮らしを記録した写真集です。
きっと懐かしい記憶がよみがえることでしょう。
内容は、つぎのとおり。

 奄美高等学校  大島高等学校  長浜町埋立  有屋・浦上地区  名瀬旧港  屋仁川通り  名瀬漁港  本茶峠  永田橋市場  まるはセンター  金久中学校  原ハブ屋  永田墓地  その他

高千穂神社5分30秒現在では考えられない光景ですが、当時の神様や神主さんは寛大だったのでしょう。
オートバイの性能のデモンストレーションなのでしょうか、それにしてもあの急な階段をよく駆け上ったものですね。
バイクツーリング8分14秒奄美本通りのセントラル楽器店前での光景です。この頃セントラル楽器店ではヤマハのオートバイをも販売していました。
旧名瀬市民の一部の裕福な人が購入していたようで、とてもうらやましがられていました。
末広町14分45秒この時代、道路という道路は舗装されておらず、車が通ると天気の良い日は砂煙、雨の日は水をはねて大変でした。
道路沿いの商店や家屋もお世辞にも素敵とはいえなかったけれど、人口も増えて活気に満ちあふれていた時代でした。
末広町21分38秒現在の美佐インテリア近くの交差点の風景です。
旧名瀬市時代の消防署(現在は公衆トイレ)も見えます。
店の前で遊ぶこの女の子も今はもう50歳後半か60歳ぐらいでしょうか。
当時街の話題となった赤マントスタイルの男性も写っています。子供たちはこの姿をからかっては追い払われたりしてましたから、憶えておられる方もおられるでしょう。